社会の窓際から

暇を謳歌したい。

久方ぶりの長時間労働特化型納税奴隷アンドロイド

二年間のニート生活からサラリーマン、

つまり長時間労働特化型納税奴隷アンドロイドへと移行し、

4月から新生活が始まったのだけれど、

正直全然悪くない。

 

すーっと一日が過ぎる。

 

僕はかつて旅の資金を貯めるために某大手自動車会社の工場で長時間労働特化型納税奴隷アンドロイドとして一年間という歳月を過ごしたことがあるのだけれど、

同じ奴隷アンドロイドとは言え、あの時とは全くもって心情が異なる。

 

あの時は労働そのものが単調で退屈で機械的で、

二交代勤務という非人間的な勤務スケジュールで、

日々の労働が苦痛で仕方なく、

金曜日が嬉しくて仕方なく、

日曜日の後半が陰鬱で、

月曜日は沈鬱だったのだけれど、

今は労働日であろうと休日であろうと、何かすっきりしている。

 

どうしてなのかしらん、とがらんどうと脳髄を使って考えてみると

それは僕のペラペラな心の奥底に、究極働こうが働くまいがどっちでもええじゃないかええじゃないか、という百姓一揆風の考えが鎮座しているからなんじゃないかなー、と思う。

 

拝金主義に基づく経済成長至上主義を掲げる自称先進国日本は国教として労働教を信奉しているのだけれど

そのような労働崇拝の雰囲気が圧倒的な世の中では、人々は「働いていないこと」そのものに恐怖を覚え、その恐怖が祟って「働いていないとどうにもならない」という幻想に魂をソウルファックされる。

 

一方で働いていない状況にある人、あるいはあまり働かない選択をしている人は、

拝金主義と労働教のドグマにソウルファックされた圧倒的多数の老若男女が醸し出すあの見下すような、憐れむような虫唾の走る雰囲気(それなりの収入があることが認められれば、それは嫉妬やへつらいに変化する)にさらされ、

その結果、相当な精神力がなければある程度の生き辛さを覚悟しなくてはならないが

その対価として「長時間労働に従事しなくても何とかなるなる鳴門海峡」という知恵を手に入れることができる。

この知恵をもってすると労働教のドグマを相対的に・・・・・・

 

というような小難しい話はやめることにして

晴れて二年ぶりに長時間労働特化型納税奴隷アンドロイドになったのだから

サラリーマンの特徴である思考停止機能をここで発動させてもらう。

 

 

P.S.

Wi-Fiないので、テザリングで頑張ります。