社会の窓際から

暇を謳歌したい。

創価の婆。そして大根。

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4月から働くことになる、ただそのことを考えるだけで気分がどよーんとなる日々。

 

この世は十人十色人それぞれで、物々しいキャメラを肩に担いだいい年の男たちが気象庁職員を取り囲み、桜の開花を一刻も早く人民に伝えようとしているのだけれど、桜がいつ何時咲こうが咲くまいがどうでもよく、春というのはとにかく疲れる。

 

倦怠の季節。

 

ここ数日は諸々の野暮用に追われていたのだけれど、今日は何も予定がない一日、つまり一日の全時間を丸々独占できる一日というわけで、独占欲という煩悩まみれの凡夫にとっては至福の一日ということになる。

 

昼前に起床して諸々の家事を済ませ、先日ネットで購入した手塚治虫大先生の『火の鳥』を読み、天才が織りなす壮大な世界観を享受していると家の電話が鳴った。

 

電話の相手は見当がついていて、その正体は創価学会員兼公明党員である遠い親戚の婆さんである。よって電話はシカッティングである。

 

きゃつは、我が亡き祖母の通夜・葬式には来れなかったので、線香をあげたいのだという。

 

しかーし、きゃつが祖母の死を知ったのは死んだ当日に等しく、仮に何らかの事情で通夜・葬式に参列できなかったとしても、本当に線香をあげる気があるのであれば、祖母の遺骨が家にある四十九日までに来るでげしょ。

 

きゃつも無職。

無職のおれにはそれが不可能でないことが手に取るようにわかる。

 

しかーし、きゃつが線香をあげに家に来たいとほざき出したのは三月に入ってからで、その本心はおれの人生の恩人である祖母を悼むことではなく、来たる選挙に出馬する公明党の自称大先生方のための選挙活動である。

 

「政治家は人の形をした嘘」という旗の下に集う我が家は、電話の相手がきゃつだった場合は家族総出で忙しいふり、つまり現代人が得意とするファッション多忙を決め込むことにしていた。

 

二日に一度はきゃつからの電話があり、電話がかかる日は一日に3~4回はかかってくる。

 

ここ二週間ほどは劇団四季並みのファッション多忙で何とか切り抜けていたが、本日数回目の電話に帰宅したばかりの母が応答したところ、きゃつはアポを取ることもなくもう向かっているという。無職の機動力。

 

もうすぐ近くに来ているという。

 

やっべー、とおれは思った。

 

だってそうだろう。

きゃつは現世利益を求めて仏道を乱用している部類の人間。

無職のボンクラがガトーショコラを食いながら『火の鳥』を耽読している姿を目にしたら、信仰が足りず、現世利益にあやかることができなかった憐れな下郎とみなされ、入信勧誘の隙を与えてしまいかねない。

 

というのは嘘で、カルト教団世間教のドグマから逸れた生き方をしている人間であればわかると思うのだけれど、無職のボンクラ男は世間教のオバサンと最も分が悪く、お互いの精神衛生上、無駄な接触は避けるべきなのです。

 

急がば回れというのは時として嘘で、急がば急げというのも大切で、おいどんはすぐさま農具の詰まったナップサックを手に取って近所の畑に駆け込んだ。

 

しばらく放置していた大根たちが開花寸前のところだった。

ばっちばちにとう立ちしていた。

とりあえず収穫して草刈りをした。

気持ち良かった。

 

帰宅すると、きゃつは立ち去っていた。

テーブルの上には公明党の立候補者のフライヤーが数枚置かれていた。

母は何も語らなかった。

フライヤーに写る候補者は例の空っぽスマイルを浮かべていた(これは公明党の候補者に限らない)。

 

今年も貴重な選挙権を持て余すことになりそうであーる。

 

 

以上です。

 

 P.S.

今日の一曲(季節外れ)。