社会の窓際から

暇を謳歌したい。

受験死

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本日は『攻殻機動隊ARISE』と『攻殻機動隊 新劇場版』を見るだけの一日だったのだけれど、無論それらはとてつもなく面白かったとして、話は急転回して、先日僕が暮らしている町で高校生が自殺した。その理由は受験の悩みらしいでげす。

 

僕は自殺に反対する立場では全くないが、個人的に友人を自殺で失っているためか、誰かが自殺したという知らせを受けると良い気持ちはせず、なんだかなー、と一瞬だけではあるが阿藤快になっちまう。

 

寺山修司のエッセイに『自殺のススメ』というものがあり、寺山先生は文字通り自殺をススメているのだけれど、寺山さんの定義する「自殺」は「自殺する理由がない上での自殺」であって、それは「いっやー、毎日楽しいなー、何不自由ない暮らし、いいわー、まじで、あっ、そうだ、自殺ってどんなものなのかしらん、一丁死んでみようかしらん」ってな感じの自殺で、僕のような凡夫が想起する悲壮感満載のあの「自殺」では全くなく、寺山さんはそういった「自殺」を社会的に殺されたのも同然なのだからそんなんは自殺じゃないぽよ、と言っている、と僕のがらんどうの脳髄は記憶しているのだけれど、先述の高校生の一件はそれこそ分かりやすい例で、彼あるいは彼女は社会システムに振り回されて押し潰された結果の死、つまりは社会的他殺なわけなのだから「自殺」ではないのだけれど、つまるところそれが「自殺」かどうかはどうでもよく、僕はやっぱり阿藤快になってしまった。

 

おいどんは現在無職無収入の状態で日々をポカーンと過ごしているものだから世間の高校生たちが受験の本番に臨み、己の身体とゴーストを企業に明け渡して将来の奴隷業の準備をしようしているということを忘れていたのだけれど、んじゃあこれから受験で思い悩んで自死を選び取る若人が生まれちゃう時期だなー、阿藤快の季節だなー、嫌だなー、と思うから受験生には、受験で思い悩んで自殺するのは無茶苦茶ダサいよ、志望校に落ちても何とかなるなる鳴門海峡だよ、ということを忠告させてもらおうと思う。

 

今でも付き合いのある僕の友人の一人に医学部を6浪した末にFラン大学の建築科に行くことになり、同大学に在学中も仮面浪人生として医学部を受験し続けたものの全滅し、結局同大学を卒業したやつがいるのだけれど、きゃつのこれまでの受験は全くもって思い通りのものではなかったものの、きゃつは今ゼネコンみたいな感じのところで頑張っている。今年の年始にきゃつと会って、とんかつを食べたのだけれど、千切りキャベツ貪り食いながらきゃつが口にする「何とかなるなる鳴門海峡」という言葉には抜群の説得力がありました。

 

一方で僕は浪人することなく都内の某国立大学に進学したものの、就職するのが馬鹿馬鹿しくて就職活動もせずに、卒業後は浪人奴隷として労働と旅に明け暮れ、旅を終えた後は祖母の介護・看病をし、今年の4月にようやっと就職という有様で、とにかく何が言いたいのかというと、自殺するのであれば受験でつまずこうとそうでなかろうと声高らかに何とかなるなる鳴門海峡と言えるようになってから自殺した方がかっこいいよ、ということです。

 

というようなことを書くと、「職を得る=何とかなる」という短絡的な解釈をしてしまう奴隷アンドロイドがいるのだけれど、「職を得たが故にどうにもならなくなって破滅」ということも十分に考えられるので、僕も友人も油断することなく寺山さんのいう悲壮感とは無縁の明るい自殺をいつでもできるような有閑階級を目指して日々を過ごしていこうと思う所存でありやんす。

 

無職からは以上です。

 

P.S.

今日の一曲。