社会の窓際から

暇を謳歌したい。

釣りを嗜む無職の必要性について

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平日の午前11時半頃に友人からプリペイド携帯にEメールが届き、眠気眼をぐりぐりにこすりながら画面に目をやると、「釣り行くぞ」とのことだったので、「あいよ」と返信し、飯を食らい、支度を整え、リトルカブをブロロロローと走らせて午後2時頃にいつもの防波堤で落ち合った。

 

その友人は1年半くらい前まで長時間労働特化型納税奴隷アンドロイドとして働いていたのだけれど、持ち前の高血圧が災いしてよくわからないままに生死の境をさまよい、当然退職。今はばっちばちに回復し、一緒にぷらぷらライフを満喫しているのだけれど、きゃつと会う度に痛感するのは明るい無職の存在の有難さであーる。

 

拝金主義に基づく経済成長至上主義を一切の疑念を抱くことなく嬉々として掲げるこの世の中において、労働は過剰なほどに崇拝され、「いかに長く苦しげに働いて、いくら稼いだか」、ただその一点のみで人の価値を測ろうとする人間ばかりいるものだから、自分を認めてもらおうと必死こいて金のために勉強し、必死こいて金のために働き、まいったなー、と気を病んでしまい、実際にまいっている人は多いよね。

 

病的に金権と労働を崇拝する社会は「社会貢献=労働と納税」一辺倒の矮小な価値観が圧倒的で、そのような社会において、無職の人間が感じる息苦しさは半端ねぇ。

 

この息苦しさを恐れて、労働をやめたくてもやめられない人は少なくないと思う。

 

この息苦しさの源泉は、周囲の労働教の人間が発する「働いていない奴はゴミ」という高圧的な雰囲気というのもあるかもしれないけれど、それ以上に己のドタマにカルト教団世間教のお題目である「働かざる者食うべからず」の残滓がこびりついていて「働いていない奴はゴミ」と思い込んでいることが問題で、そう思い込んでいるからこそ、周囲もそう思っているに違いないと錯覚し、自分を苦しめる。みたいな感じのニュアンス的なことなんじゃないのかなー。

 

そういった労働崇拝の閉塞的なガチガチの世間の壁に風穴を開けてくれるのが僕の友人のような飄然とした明るい無職者で、きゃつにとって労働は最優先事項では全くなく、きゃつが働いていないことに負い目を感じることはない。

 

かと言って、別に労働そのものを卑下しているわけでもなく、働いていようが働いていまいがどっちでもええじゃないかええじゃないか、というような江戸っ子並みのてやんでい精神で晴れの日に溌剌と釣りに誘ってくる。

 

僕の高校時代の部活の後輩に現在引きこもっている奴がいるらしく、なぜ引きこもっているのかはよくわからないし、引きこもること自体は何も悪いことではないと思うのだけれど、仮に今何らかの事情や理由で働ける状態になく、そういった自分に負い目を感じて劣等感や羞恥心から引きこもって苦しんでいると仮定すると、そういった人間にゲリラ的に「釣り行くぞ」と気さくに誘ってくれる快活な無職の友人がいるだけで彼の心はとてつもなく晴れる、と思う。

 

奴隷労働に苦しみながらも世間体を気にして退職に踏み切れずに苦しんでいる人間も、平日の真昼間からヘラヘラを釣りに興じる無職者の姿を見たら、ガチガチの考えも緩むことがあるかもしれへん。

 

あの手この手を使って寄って集って奴隷労働を強要してくるこの社会に押し潰されて苦しんでいる人間を救う鍵は無職の人間の中にある。平日の真昼間に恬然と釣りに誘ってくるような無職の人間の中にある。

 

現在無職の人は社会の閉塞感を打ち破る名手を目指して釣りに興じることをお勧めします。

 

カサゴ美味いよ。

 

P.S.

プロケッズのロイヤルプラス欲しい。

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