社会の窓際から

暇を謳歌したい。

切り替えていこうと思う。

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ここ一週間ほど、おれ史上最高の激萎えの日々を送っていたのだけれど、それはなぜかというと、人生の最大の恩人である祖母が死んだからです。

 

とある日の朝、祖母は様態が急変し、自宅のベッドで大きく二回息をして、そのまま死。

 

死因は肺がん。

 

海外放浪の旅から帰ってきてから約7カ月の間、おれは有り余る時間を祖母の看病と介護に費やしてきたのだけれど、この世はまじで諸行無常で、遂には互いに満身創痍、もうホスピスに預けようと思い、手配を済ませ、ホスピスに行く日に祖母は亡くなった。

 

文字通り、お互いギリギリまで頑張れたので本当によかったと思っている。

 

ばあちゃん、お疲れさんでした。

 

祖母が死に、絶大な悲しみが未だにのたうち回っているのは間違いないのだけれど、それと同時にある種の達成感というか、開放感といういうか、そういった感じのニュアンス的なものもあるにはある。

 

おれは人生の大前提に諸行無常を据えている。

 

具体的に言えば、人間は必ず死ぬということ、そして、まじのまじで、がちのがちで、がちのむちで、いつ死ぬかわからないということ。これがおれの人生の大前提になっている。

 

この大前提は余りにも真実で、世の中の誰もがそれを人生の大前提にしていると思っていたのだけれど、意外とそうでない人ばかりでびっくらこいたりすることもあるが、まぁどうでもいい。

 

おれは10代の時に親友を自殺で失い、数年前にも親友を交通事故で亡くした。

 

おれの人生の大前提は亡くなった友人が身をもって教えてくれたものだからなおさら絶対に間違いない。

 

友人たちの死のおかげでおれは自分が死んだ時にどんなことで一番後悔するだろうか、最小限の後悔で死ぬにはどうすればいいだろうかと考えるようになった。

 

そう考えていくと、祖母の介護や看病に全力で取り組み、最期まで看取ること、これはやらなければ激烈な後悔を生み出すランキングの絶対的一位を占める不動の最優先事項であった。

 

そして幸か不幸か、それを無事にやり終えた。

人生における最大の後悔の種を無事に打ち砕くことができた。

祖母が死んで物凄く悲しいけれど、安心したというのはそういうことです。

 

 一人旅を思う存分やること、祖母を最後まで看取ること、この二つがこれまでの人生における最優先事項だったのだけれど、二つとも納得のいく形でやり終えることができた。言い換えると、今まではそれらの奴隷だったのだけれど、今は完全にそれらから解放された。

 

もう両親の介護や看病が必要になるまでは自由だ。

これから何をやってもいいし、何もやらなくてもいい。

 

以前書いたように、自由を満喫する能力に欠ける奴隷階級であるおれは退屈との全面戦争を戦い抜くべく、奴隷労働に従事しながら有閑階級を目指していこうと思う。

 

ってことで、本日より本格的に求職活動を開始します。

 

P.S.

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