社会の窓際から

暇を謳歌したい。

奴隷階級としての今日の予定

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先日、朝の日課が終わり、コーヒーをすすりながらぼさっとしていると、祖母が見ていたテレビで「空白恐怖症」というものが紹介されていた。

 

テレビというメディアは殆どが認知症患者に適した番組ばかりで、信用ならないものの筆頭ではあるが、ここではとりあえず信用できるものとして仮定して、その「空白恐怖症」なるものの意味を説明すると、「空白恐怖症」の人間は予定がないこと、つまりスケジュール帳が空白であることをガチガチに恐れ、時としてスケジュール帳、ロフトで購入したスケジュール帳であろうか、それに偽りの予定を書き込んだり、または劇団四季並みの演技力で予定があるような素振りをするのだという。

 

おもろいなー。

 

これと関連して「大ニ病」なるものもあり、この病理の症状は多岐に渡るのだけれど、その症状の一つに「寝てないアピール」というものがあり、つまりこれは己の睡眠時間の少なさを誇ることによって、己の活動時間の長さを誇示したいという狂気の症状なのだけれど、この「寝てないアピール」や「空白恐怖症」に共通するのは「おいどんは忙しいんだ」と言いたいということ。そしてなぜそこまでして忙しさをアピールしたいのかというと、暇を恐れているからであーる。

 

なぜ彼らが「暇」つまり「何をしてもいいし何もしなくてもいい時間」を恐れるのかというと、「教養」つまり「一人で余暇を満喫する能力」がないために暇な時間を退屈に過ごしてしまい、その余りの退屈さに悶え苦しむからだ。

 

そしてきゃつらの脳髄には「暇=退屈=苦痛」という図式がバリバリに出来上がっている。

 

きゃつらは他人が「暇だ」と言っているのを聞くと、すぐさま「あいつ暇で退屈して苦しんでんだろうなー。やることなくて可哀想だなー。」という判断を下す。

 

だからこそ自分が「暇だ」と言ってしまうと、他人に「あいつは暇で退屈して苦しんでいる」と思われると思い、同情されるかもしれない、見下されるかもしれないと勘ぐる。そういった他人からの評価から自分を守るために虚栄心から己の忙しさを無駄にアピールするようになる。

 

しかし、それはただのアピールにしか過ぎず、ファッションとしての忙しさに過ぎず、どれほど巧妙にアピールできたとしても退屈に打ちのめされる己の性質を改善できるわけではない。「教養」を獲得できているわけではなく、中身はすっからかんのままだ。

 

一方、「余暇を退屈とは無縁に過ごせる能力」、すなわち「教養」なるものを持ち合わせている人間は余暇を満喫できるが故に、その脳髄には「暇=充実=享楽」という図式が出来上がっており、暇を誇ることができる。

 

そして、教養人は教養のない人間が良かれと思って「忙しいアピール」に狂奔する姿を目の当たりにすると、「余暇のない人間=充実していない人間=享楽とは無縁の人間」と解釈し、大日如来のごとくに慈悲の念に駆られてしまう。

 

というようなことを書くと、んじゃあ「忙しいアピール」をやめて、余暇を満喫できるように教養を身につけ、余暇を充実させなければならない、享楽を得なければならない、と結論を出しがちになってしまうが、確かにそうできればそれに越したことはないのだけれど、ファッション多忙、つまり「忙しいアピール」は明らかに要らないが、「余暇を充実させなければいけない」みたいな感じのニュアンス的なことが義務というか、強迫的な目的みたいになってしまうと、それはそれでインスタグラムの奴隷たちと同じような精神構造、つまり演出された充実、つまりファッション充実に翻弄され、王様のブランチの奴隷としてスカスカの日々を送ってしまいかねない。

 

んじゃあどげんすればよかとね、と九州男児風に考えてみると、ここは漢(おとこ)たるものファッションや虚勢抜きで裸一貫で己の「余暇」、多くの場合は「退屈」と対峙して自分なりの余暇との付き合い方を慎重な試行錯誤を通じて模索するしかない。

 

しかし、多くの者は慣れない思考習慣のために満身創痍となり、思考を放棄し、安易な気晴らしである消費にズブズブに没頭し、ZOZOTOWNの奴隷となって金を散財し、楽天カードの奴隷となって借金地獄に喘ぎ苦しみ、タウンワークを介してさらなる奴隷労働に従事する。朝から朝まで毎日働くしかなくなる。

 

すると余暇は消失し、ファッションでは済まされない正真正銘の忙しさを手に入れ、ガチガチの予定がスケジュール帳にキチキチに書き込まれるようになり、思わぬ形で退屈からの解放が訪れる。ヤッピー、と思ったのも束の間、その奴隷労働自体が退屈なものとなる可能性もあるのだから安心はできない。

 

そう、退屈を打ち破れない人間、退屈を打ち破ろうともしない人間は、ひるおびを見るだけの日々を送るか、ファミチキを揚げるだけの日々を送るしかないのです。

 

僕は絶対にそういうのは嫌なので今日はプールに行って、TSUTAYAアウトレイジ3部作を借りて嗜もうと思う。そしてAmazonでプーマのスニーカーを物色して、奴隷道を極めようと思う。

 

とここまで書いて、プールに行って、TSUTAYAトレインスポッティング2部作を借りて、繁華街でスニーカーを物色してきた。奴隷も悪くないと思った。

 

 P.S.

今日の動画