社会の窓際から

暇を謳歌したい。

教養不足

無職で暇を持て余しているおれは、持てる自由時間を利用して祖母の介護を行っているのだけれど、ここ数日の祖母はほとんどの時間を寝て過ごしているため、その分自由時間が増えた(気ままに外出はできない)。

 

およそ2週間前までは毎日のように畑に通い、猪を防ぐべく柵を張り、荒れた畑を整えていたが、畝作りと種まきが終わり、後のことは自然に任せるだけなので、もう畑に行く必要もなく、その分自由な時間が増えた。

 

祖母の介護を除いては、日課として掃除、瞑想、読書、習字、運動、ブログ、時折翻訳や映画鑑賞に興じているが、それだけでは張り合いがなく暇を持て余してしまう。

 

そうして惰性でネットの海を漂流してしまうことになる。

 

そして自分には「余暇を一人で嗜む能力」、すなわち「教養」がないことを痛感する。

 

「教養」がない人間というのは、他人に自分の時間をどう過ごすかを決めてもらった方が幸福な人間で、すなわち奴隷階級ということだが、奴隷階級の人間はどれほど金を持っていようと、自由を謳歌することができない。

 

自由を謳歌するために金は必要だが、金があるだけでは自由は謳歌できない。

 

以前、二ヶ月ほどかけて四国の遍路道を歩いたことがあるのだけれど、その道中で一人の老人のアパートに泊めて頂いた。その老人は仕事を引退して、家族と離れて一人アパートに住んでいたのだけれど、毎日が退屈で地獄だと言っていた。

 

金もあるし時間もあるが、その老人は金と時間をどう使えば自分は充実した時間を過ごすことができるのかしらん、という問題と真剣に向き合わないまま長年生きてきてしまったので、もうどん詰まりである。

 

その方はとても親切な方だったのだけれど、おれは絶対にそういう人間にはなりたくない。

 

と偉そうなことを言っておりながら、現状は自分自身も奴隷階級からの決定的な突破口を見出せずにいるのだから、ここはもうやけになって、現代において多くの人間が重要な問題からの逃避手段として用いているショッピングに身を投じようかしらん。

 

そうして金を散財し、金銭的に欠乏し、金貸しの奴隷となり、長時間労働を余儀なくされ、奴隷労働と気晴らしを堂々巡りし、教養を培うことなく老人となり、貧困と退屈に喘ぐ日々を過ごし、そして死に絶える。

 

というのは絶対に嫌だ。

 

もうこうなったらあれだ。

 

バタピーの馬鹿食いだ。

 

P.S.

今日の浪費。