社会の窓際から

暇を謳歌したい。

キヨっちゃんへ。

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 少し前のことだが、ツイッターにて「ブログアフィリエイトで月収数十万稼いでます。目標は月収100万円です」みたいな感じのニュアンス的な触れ込みの人に数日間だけフォローされたことがあったのだけれど、おれはそういう人に対して素直に、すごいなー、と思うと共に圧倒的な価値観の違いを感じてしまう。

 

 つまりどういうことかというと、仮におれが月収30万円を稼げていたとしたら、もう金のことは考えない。おそらく月収15万円でも、もう考えない。必要な額が調達できたなと思ったら、あとは時間をどう過ごそうかしらん、と考えてしまうのが幸か不幸かおれの性質で、それ故に今現在、無職無収入の状態であっても生活を十分に賄うほどの貯金があるものだから、祖母の介護の合間を縫って余裕をかましYouTubeFF10のムービー総集編に見入ってしまい、時間を惰性で空費し、おれ何やっているのかしらんと自己嫌悪に陥ったり、本を読んで、ははぁー、となったりしているのだけれど、とにもかくもかくにもこのような気質の人間からすると、必要以上に金を延々と追い求めるのもある種の才能であって、これは皮肉ではなく、まじですごいなー、とは思うのだけれど、個人的に魅力的な人間とは思わないし、NHKにようこそ!とはならない。んじゃあ、どういう人間が魅力的なのかというと、それはわからへん。

 

 日本でもベストセラーになった『金持ち父さん、貧乏父さん』という本があるのだけれど、その著者であるロバート・キヨサキさん、ここでは親しみを込めてキヨっちゃんと呼ぶことにするが、キヨっちゃんは資産(=お金を運んで来てくれるもの)と負債(=お金を奪っていくもの)の違いをばりばりに見分けて、負債を買わず、資産をばしばし買うことによって、生活費を十分に賄う規模の不労所得システムを構築したわけだが、おれっちが気になるのは、働かずして十分な収入を得ることができ、膨大な余暇というものを獲得したキヨっちゃんは、果たしてその余暇を十分に満喫できているのかしらん、ということなのです。

 

 仮にキヨっちゃんがその余暇の殆どを更なる資産を手に入れるために使ったとしたら、キヨっちゃんは有閑階級ではなく、ただの成金おじさんだ。なぜならば、有閑階級の人間というのは余暇を全くもって実利的ではない遊びでもって充実させることのできる人間のことだからです。

 

 しかし、キヨっちゃんがその余暇を三点倒立の練習や凧揚げなんかをして嬉々として満喫していた場合、キヨっちゃんは紛れもない有閑階級で、そういうキヨっちゃんがブログをやっていた場合、おれは食い入るようにブログを拝読するだろうと思う。というのは嘘だが、キヨっちゃんみたいになりたいなー、と思うと思う。

 

 金を稼いで得た膨大な余暇を実利的でもなく虚栄的でもない遊びで充実させられる大人。キヨっちゃんがそういう大人であることを切に願う。

 

P.S.

今日の一曲