社会の窓際から

暇を謳歌したい。

遊び農業

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 真の暇人になるには教養、すなわち自由な時間を一人で遊べる能力が必要なのだけれど、有閑階級を志す奴隷階級のおれが興じている遊びの一つが家庭菜園だ。

 

 今年の春から近所の老婆から畑を無料で借り受け、なるべく自然農法的な感じのニュアンスで色々と試行錯誤しながらやっているのだけれど、あれはいつだったかしらん、まぁ忘れたが、近隣の野山に城を構えるイノシシにゲリラ的に襲われ一度壊滅したことがある。あの時は激萎えしたが、やはりこの世は諸行無常。何とか傷悴状態から立ち直ることができ、畑の周囲に柵を張り巡らせた。とは言っても、ガチガチの鉄柵ではなく、百均にある園芸用の棒と老婆にもらったネットと近隣の竹やぶから調達した竹を組み合わせただけの貧弱な柵ではあるが、まぁそこは何とかなるなる鳴門海峡

 

 柵作りが終わったあとは、土を耕し、畝を作り、種を植えた。ここ3週間くらいは一日45分ほどの時間を畑仕事に費やしてきたのだけれど、物凄く楽しかった。あの畑作業を終える度に味わった充実感というのは一体何なのかしらん。

 

 今読んでいるラッセルの本の中に「〈大地〉との接触の要素がまったくない快楽」はそれが「尽きるやいなや、人を索漠とした、不満足な、自分でも何がほしいのかよくわからないものを切望する気持ちにさせる」みたいな感じのニュアンス的なことが書かれているのだけれど、これはつまり、自然との接触を嗜めば、持続的な満足を味わうことができ、惰性的に何かを追い求めるようなことはしなくなる、みたいな感じのニュアンス的なことになるのだけれど、これは本当にそうだと思う。野良作業をした日は「今日は何かやったな」という実感がかなり残る。

 

 またピピピさんの影響で読んだ鈴木祐さんの『最高の体調』という本によれば、人間がいい感じの状態になるには「興奮」と「満足」と「脅威」の三つが適度に必要で、その三点をうまい具合に提供してくれるのが自然なのだという。「季節のうつろいや草木の変化がほどよい興奮を生み、緑に守られて安心感が心地よい安らぎを生み、森や川に潜む未知の脅威がときに警戒を生みます」だってさ。

 

 このように無作為に読んだ本が共鳴し合っているのを発見するのも読書の面白味の一つなのだけれど、それはまぁ、どうでもいいとして、とにかく良い遊びを見つけられて嬉しいなー、これでおれも有閑階級だなー、としみじみしていると、すでに柵作りも、畝作りも、種植えも終わり、とくに毎日畑に行く必要がなくなり、大地との接触が絶たれ、「興奮」と「満足」と「脅威」のバランスが崩れ、空漠とした現実に苛まれ、奴隷階級としての性を痛感させられたので、先日祖母のために買ってきたヨーグルトをやけ食いすることにする。

 

P.S.

今日の一曲