社会の窓際から

暇を謳歌したい。

読書の秋だから

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 読書の秋だから、というわけではないが最近再び読書が面白くなってきた。

 

 これまでの人生において、読書が一番面白かったのは長時間労働特化型納税奴隷アンドロイドに堕していた時期だったのだけれど、あの時は忙しない拘束時間が長大だったが故に、時間をゆったりと自由に過ごすことができるというプレミア感が読書時間に付随し、それ故に読書が物凄く面白く感じていたのではないかしらん。

 

 しかし、至福の時間を享受するために膨大な奴隷時間を必要とするということは奴隷階級であることを意味し、それはまじで嫌だ。奴隷階級から脱するためには、何をしてもいいし何もしなくてもいいという茫漠とした自由時間を嗜む能力が必要で、恐らく多くの人間はこの能力に乏しいが故に退屈に耐え切れず、安直な快楽に走ってしまう。そして、安直な快楽というのは概して金がかかる。そして人はそのための金を得るために長時間労働に従事する。そして長時間労働と気晴らしの無限スパイラルに嵌まりこむ。そのスパイラルが加速していき、遂には身の丈を越えた気晴らしに手を出したくなり、借金をして一時的に欲を満たす。そうして生活の主導権を銀行や会社に握られてしまい、長時間労働と気晴らしの無限スパイラルは奴隷労働と気晴らしの無限スパイラルへと深化する。これでGDPは右肩上がり、オーケー、オーライ、頑張るぞー、と思える人間であればいいのだけれど、おれはまじで嫌だ。

 

 んじゃあ、どうすれば自由時間を嗜む能力を養うことができるのかというと、おれのがらんどうの脳髄では皆目見当もつかないため、とりあえず乱読っつたい、と熊本人のごとくに意気込んでだんだらだんだら本を読んでいくと、本を読んでいる時間をかつてのようにいい時間だなーと思えるようになってきた。ここ一年半、おれは奴隷労働とは無縁なのだけれど、奴隷労働とのコントラストに頼らない形で自由時間を楽しめるようになり始めたということは、ついにおれも有閑階級としての精神性を手に入れ始めたんや、やっぴー、と静かな喜びに浸っていると、階下で認知症の祖母が一人でべらべらべらべらとしゃべり始め、改めて己の喜びがストレスに下支えされていることに気がついた。己が未だに奴隷マインドだということに気がついた。

 

 ばあちゃん、ありがとなー。

 

P.S.