社会の窓際から

暇を謳歌したい。

健全なストレス暮らし

f:id:makiri1002:20181019133432j:plain

 

 かつておれは旅の資金を貯めるべく、某大手自動車会社の工場で長時間労働特化型納税奴隷アンドロイドとしてライン作業に従事していたことがある。

 

 そこでは一年間働いたのだけれど、仕事からは一刻も早く解放されたかったが、あの一年は実に得るものが多かった。

 

 退職してみると、一年間で貯金が300万円以上も増えていた。体脂肪が7.6%になっていた。本を150冊以上も読んでいた。という有様である。

 

 二交代勤務で一日8時間労働、実質12時間拘束される一端の労働者でも上記のことをやろうと思えば実現できるのであーる。

 

 よって全労働者は私のように働きながらも心身を鍛え、節制・貯蓄に励まなくてはならない。と言いたいわけでは決してない。絶対にない。自分の好きなようにやればいいと思う。

 

 不思議なことに、無職で暇を持て余している現在、貯金が増えることは当然ないとしても、体脂肪率は絶対に10%以上はあるだろうし、本も年間50冊ペース。介護により変則的に拘束はされるものの、日々の自由時間はふんだんにある。にも拘わらずにである。にも拘わらず、日々の運動量と読書量は格段に減っている。

 

 これはどういうことかしらん、と考える必要もなく、答えは至って簡単で、おれは運動と読書をもってストレスを粉砕させていたわけだ。

 

 二交代勤務というのは各週ごとに生活リズムをドラスティックに変動させなくてならない不自然極まりないシステムであり、人間が送るべき健康的な生活リズムでは決してない。それに耐え得るのは生粋の奴隷アンドロイドだけだ。幸か不幸か、おれには人間としての反骨的な断片がかろうじて生き残っており、作業内容をインストールしてそれを繰り返すだけの奴隷アンドロイドに完全にはなりきれていなかったようで、その分ストレスの溜まり方が半端ではなかったのだろう。

 

 現在でも介護によりストレスは溜まりはするが、それでも人間としての生活を営んでいるため、奴隷アンドロイド時代と比べたらストレス量は雀の涙に等しい。現在はストレスが相対的に少ないからこそ、憂さ晴らしの必要性も減少し、運動量と読書量が落ち込んでいるのは当然と言えば当然である。

 

 しかし、このままでいいのかしらん、と思う。

 

 おれはストレスを健全な活動に昇華させられる自信があるのだけれど、健全な活動の源泉がストレスであり続けると、健全な生活を営むためにストレスを求め続けなければならなくなり、一歩踏み外すとある種のストレス中毒になり、労働教に成り果て、奴隷労働と気晴らしの無限ループに嵌まり込み人生終了、ということになってしまわないかしらん、だとしたらまじでやばいなー、運動と読書を気晴らしという位置づけから解放せねばあかんのう、というわけでげす。

 

 考え過ぎだろうか。

 

 考え過ぎだろう。

 

 ストレスがあるからこそできることがあり、ストレスがないからこそできないこともある。だからストレスっつーのも必要なんや。ということだろうか。

 

 人間ってほんと面倒くせぇ。

 

P.S.

最近寒いですね。