社会の窓際から

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世間教のゾンビたち

 

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 ゾンビ映画のストーリーというのは、人をゾンビにしてしまうウイルスが何らかの理由で企画開発され、ウイルスを打ち込まれた人間がゾンビと化し、ゾンビが人を襲い、襲われた人間もウイルスに感染してゾンビとなり、そうやってゾンビの数が相乗的に増えていき、主人公たちがゾンビの群れ、ウイルスの脅威から逃げまくるという構図が殆どなのだけれど、ゾンビ映画を見ていていつも不思議に思うのは、徹底的に肉を食い尽くされた白骨死体が出て来ないという点であーる。

 

 愚鈍で頓馬な凡夫のアッパラパーな脳髄による理解が間違っていなければ、ゾンビというのは貪欲で、思考が停止していて、凶暴。筋力は生前と同様、乃至は生前よりも強力になっているのかしらん。映像の印象から判断するに、弱くはなっていないように思う。大好物は生きている人間の肉で、お互いに襲い合うことはない。

 

 上記の特徴を踏まえた上で、一人の人間が複数のゾンビに襲われた場合を想像してみると、襲撃された人間は喉元を食いちぎられて即刻絶命。血肉は貪欲なゾンビに食い荒らされ、残骸は骨とささやかな肉のみ。ゾンビに食い散らかされた人間が「死んだら死んだでしゃあねぇさかい。だがしかし、おいどんの死因はゾンビ襲撃によるもの、つまり死んでも動けるようになるのだよ、フハハハハハハハ、バーローが、なんとかなるなる鳴門海峡なのだよ」と余裕をかまし、ゾンビになって意気揚々と動こうにも、血肉の九割九分九厘を貪欲なゾンビたちに食い荒されているのだから、びくとも動けずおつかれさん、というように、ある程度ゾンビの数が増えると、それに伴って多数のゾンビに襲われる可能性が増え、ゾンビの襲撃を受けても被害者の身体はぐわんぐわんに食いちぎられて瞬時に白骨と化すため、ウォーキング・デッド、つまりは歩く屍に必要な歩く能力がなくなるわけだからゾンビとして成り立たず、それはただの屍、というより骨っこ、ということはゾンビの数はどんどんどんどんとは増えないというのが自然なのではないかと思うのだけれど、映画を見る限り、そうなっておらず、ゾンビは爆発的な勢いでどんどんどんどんと増えていく。ということは、ゾンビの最優先事項は人肉を食べて食べて食べまくるということではなく、ゾンビの数を増やすことなのだろう(そのようにウイルスが設計されているのだろう)。人肉をちょい食いし、ウイルスを生体に送り込み、適度に筋肉が残っているのを入念に確認してから、よっしゃ下ごしらえ終了や、次行こかー、オーケー、オーライ、といった感じで。

 

 みたいなことを退屈凌ぎに考えていると、おれのアッパラパーな脳髄内でゾンビと労働教の人間がリンクした。

 

 労働教の人間というのは拝金主義に基づく経済成長至上主義の産物で、GDPが大好きな世間体の奴隷と言ってもいいだろうが、とにかくああしろ、こうしろとまじでうるせぇ。

 

とにかく学校に行けと言ってくる。

とにかく働けと言ってくる。

とにかく結婚しろと言ってくる。

とにかく子供を作れと言ってくる。

とにかく子供を学校に行かせろと言ってくる。

とにかく子供を働かせろと言ってくる。

とにかく子供を結婚させろと言ってくる。

とにかく子供に子供を作らせろと言ってくる。

とにかく孫を学校に行かせろと言ってくる。

とにかく孫を働かせろと言ってくる。

とにかく孫を結婚させろと言ってくる。

とにかく孫に子供を作らせろと言ってくる。

 

みたいな感じで、世間体の奴隷ウイルス、Dウイルスに感染したゾンビたちはとにかくうるさく、個々人の価値観に基づき各々のリズムやペースに沿って日々の生活を営んでいこうとしている健全な人間に執拗かつ無慈悲に複数で襲いかかり、人間を画一的な思考停止ゾンビに変貌させようとしてくる。

 

 ではDウイルスの蔓延するこの社会で、どうやって身を守っていかなければならないのか。映画を参考して考えてみると以下のようになる。

 

 ゾンビから逃げまくる。

 ゾンビをぶちのめす。

 抗ウイルスワクチンを打つ。

 ウイルスを完全に取り込み、自分のものとする。

 ゾンビになる。

 

 他にもあるかしらん。

 

 これらはあくまでも比喩でしかないため、それらを目の前の現実に当てはめながら一つ一つ具体化していかなければならないが、なんか面倒になってきたなー。自身の体内で蠢くDウイルスのせいで思考が停止してきた。おれもゾンビかー。具体的なDウイルス対策は人間の皆さんの思考力に委ねたい所存であるが、「ゾンビをぶちのめす」を「暴言」や「暴行」や「殺人」と短絡的に解釈しないように。少しでも多くの人間が人間であり続けられますように。それだけを切に願う。

 

P.S.

 祖母の床ずれ対策をせんといかんぜよ。