社会の窓際から

暇を謳歌したい。

奴隷職活動

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 無職で暇を持て余しているため、暇を謳歌したいと常々思ってはいるが、膨大な時間を退屈することなく過ごすには限界がある。

 

 作家の中島らもは、「教養とは一人で時間を潰すことができる能力のことだ」みたいなことを言っており、ここでの「潰す」は「自分なりに有意義に過ごす」と言い換えてもいいだろう。すなわち、奴隷階級の人間というのは「教養」、つまり「自分の時間を充実させる能力」が欠落した無教養な人間であり、何をしてもいいのに何をやっていいのかがわからず、かと言って、ぼさっとしていると退屈に苛まれて居たたまれなくなり、薄っぺらい惰性的な気晴らしでその場を誤魔化し続ける人間のことで、そういう人間は大金を持ち合わせていて働く必要がなくても、他人の指示の下で頭と体を動かし、他人に飼い慣らされていた方が退屈せずに幸せである、みたいなことは過去に書いた。

 

 ここで注記しておきたいことは、「有意義に過ごす」と書くと、必ず何かを「する」と短絡的に思い込んでしまう人がいるが、そう考える人はおそらく下層奴隷階級の人間だろう。この世の中には有閑階級なる人間が厳然と存在する。有閑階級の人間は殊更何かをしていなくても、何もやることのない時間を何もやることのない時間として退屈に苛まれることなく悠然と過ごすことができる。彼らは自由に使える時間が手に入ると、その時間を費やして積極的に行いたいことを行うか、特に何もやることがなかったらなかったで、何もせずとも心穏やかに過ごすことができる。有閑階級の人間は奴隷階級の人間とは一線を画す決定的な内的資質を備えているのである。

 

 そして、おれはれっきとした奴隷階級だ。

 

 無職のおれは、持て余している暇を見込まれて、祖母の介護を任されている。祖母は人生で一番お世話になった大恩人であるため、祖母の介護をやることに抵抗を感じることは一切ない。祖母はすでに余命宣告されていて、むしろここで全力でやらなければ、祖母の死後、強烈な後悔と自己嫌悪に苛まれるのは明々白々。よって、祖母の介護は全力でやるさかい。

 

 とは言っても、24時間一分一秒祖母に付きっきり、というわけではなく、やるべきことをやるべき時にやると、祖母は永眠すれすれの安眠状態に陥ってしまうため、その間は、外出は制限されるが、自由に使うことができる。

 

 そして、おれは時間を持て余してしまう。別に持て余すだけならいいのだけれど、どうしても退屈してしまう。何かをやっていても、惰性でやっている感を感じて、その生ぬるさにぐでんぐでんになってしまう。まじでやべぇ、ほんまおいどん奴隷階級や、となってしまう。

 

 本を読むのも楽しいし、体を動かすのも楽しいし、書き物をするのも楽しいのだけれど、それらは寸暇を惜しんでやりまくりたい、というほどの情熱をもってやりたいことではない。そして、いつの日か祖母の介護が不要になると、余暇が格段に膨張し、となると、それはそれはおどろおどろしい退屈地獄が訪れることになる。

 

 何が起こるかわからない諸行無常のこの世の中で、いつ死んでも後悔を最小限に留められるよう、おれはすでに個人的にやりたいことはやり尽くしていて、今後是非ともこれをやりたいぜベイビー!みたいなことはもうない。そのおかげで利他を考慮することができるようになり、祖母の介護に打ち込めるのだけれど、それと同時に退屈につけ入る隙を与えてしまう。

 

 夢中になれるものがなく、時間を退屈に持て余してしまうということは、どういうことかというと、つまり、今のおれには自由を享受する資質がなく、そんなおれは他人に使われていた方が幸福であり、そんなおれは前述のしたように奴隷階級ということになる。

 

 現段階ではどれほど思考を巡らせようと、自分が奴隷階級であるという結論に達してしまい、それはもう受け入れざるを得ない。奴隷階級のおれは奴隷階級として己の時間を他人の指示の下に消化しなければならない。よって、遅かれ早かれ、奴隷職活動を始めなければならない。

 

 しかし、奴隷階級として奴隷労働に従事したとしても、結局のところ、その労働は単なるその場凌ぎでしかない。この世は諸行無常という真理に基づいており、一寸先はまじで闇。病気や事故やリストラや災害や戦争により、瞬時に退屈地獄に突き落とされる可能性がある。幸運に次ぐ幸運により、諸行無常の荒波を何十年と泳ぎ続けることができたとしても、奴隷階級の人間が最も恐れる社会的な死刑宣告、すなわち定年という人災により退屈地獄行きは確定している。よって、その場凌ぎの奴隷労働にあり着いたとしても、思考が停止しないよう細心の注意を払いつつ、自分の時間を自分なりに充実させることができるように有閑階級の資質を自分の中に育み、奴隷的資質を駆逐していかなければならない。しかし、それは後の話だ。

 

 現状の延長上には貧困と退屈が待ち構えている。

 

 貧困も恐ろしいが、退屈も同様に恐ろしい。

 

 まじでだるいが、まじでやるしかない。

 

P.S.

コーヒー飲んで、眠られへん。