社会の窓際から

暇を謳歌したい。

ニートの社会貢献

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 無職で暇を持て余しているおれは、所謂ニートと呼ばれる存在でもあるのだけれど(一応、労働意欲はなくもないため、厳密にはニートではないが、別にニートでオッケー)、ニートをおよそ一年数カ月やってみて、ニートは世間からの「とりあえず働け」というカルト的な奴隷推進運動に嫌でも晒されざるを得ないという宿命にあるということがわかった。

 

 戦時中に戦争に参加することを拒んだ人間が「非国民」として村八分にあったように、今日では奴隷労働に従事していないと、人として扱って貰えない風潮が社会を取り巻いているように思う。

 

 働いていない人間を叩く人間の常套文句として、「働いて税金を納めて社会貢献しろよ、バーロー」というコナン風のものがある。我が自称先進国のドグマである拝金主義に基づく経済成長至上主義に則ってより端的に表現すると、「とにかく金を稼いで納税して社会貢献しろ、バーロー」とコナン風に言っているわけだ。それ故に、一切の奴隷労働に従事することなく不労所得を得て、税金を納めている地主や株主などの資産家は奴隷アンドロイドたちから社会貢献がどうのこうのと、説教を垂れられることがない。

 

 この国は拝金主義に基づく経済成長至上主義を掲げているため、仕方がないのだけれど、ここでの問題は、バーローな奴隷アンドロイドの思考が停止してしまい、「社会貢献=納税」という見方しかできない点にある。拝金主義と労働信仰にソウルファックされた彼らは、労働と納税のみが社会貢献だと信じて疑わないため、まじでまいったなぁー、とおれはなってしまう。

 

 では何をもって社会貢献というのか?

 

 それは知らん。

 

 わからん。

 

 「社会」という言葉が曖昧なのだから、どうとでも言うことができる。

 

 戦争時においては、敵国の国民を殺すことが英雄的な社会貢献とみなされるように、何が社会貢献になるのかは、「社会」をどう定義し、その社会がどのような状況にあるのかによるのだけれど、「社会」というのはとにかく曖昧模糊な言葉なので、労働や納税以外の形でも社会貢献というのは十分に成り立つということは間違いない。

 

 現代社会は満場一致で「過労社会」と定義することができると思うのだけれど、そのような社会において、働かずして飄然としている人間はただ存在しているだけで、社会貢献となる。なぜならば、その存在自体が過労に苦しむ人間への「そこまで働かなくてもなんとかなるなる鳴門海峡」というメッセージとなり、それを契機に、過労に苦しむ人が奴隷洗脳による「死ぬか働くか」という視野狭窄状態から抜け出し、我に返り、退職やパートタイムへの切り替えや転職といった新たな活路を見出して、過労死や過労自殺精神疾患を免れることができるかもしれないからでやんす。

 

 逆に、過労社会において「とにかく働け、とにかく納税」という高圧的な態度をとり、無業者を叩きまくっていると、その余りの叩かれように、満身創痍の過労働者たちは仕事を辞めることが絶大な恐怖そのものとなり、結果無理に働き続ける、そんで精神を病む、そんで自殺、そんでおつかれさん、となるように、人を発狂させたり、人を殺したりしかねず、それこそ大好きな社会貢献の意に沿うことはできない。

 

 しかし、母なる地球上において、人口が増え続けていることが問題であるとするならば、人口が減ることは社会貢献ということになり、高圧的な態度で、人を発狂させ、自殺に追い込んだとしても、それはそれで社会貢献になるかもしれない。となると、災害も、飢饉も、病気も、犯罪も・・・というように、社会貢献という言葉は不明確過ぎてどうとでも言えて胡散臭いので要注意だ。

 

 いずれにせよ、考えることをあきらめ、労働と納税のみが社会貢献だとカルト的に信じている人間はバーローだ。

 

 我が過労死大国日本においては、「働かない」あるいは「あまり働かない」というのも十分に社会貢献として成り立つ。

 

 ってなことを言うと、じゃあ、みんながみんな働くのをやめたら、この国はどうなんだよ、バーロー、という反論が飛び出してくるだろうが、おれは暇を持て余している身ではあるが、そういうガックリ来るくらい見当違いな反論に付き合う暇はない。明日、県外で友人の結婚式があり、朝早いため、そういうのに付き合ってる暇はねぇんだよ、バーロー。

 

 とにかく、我が過労死大国日本においては、「働かない」あるいは「あまり働かない」というのも十分に社会貢献として成り立つ。

 

 現在働いていない人間は社会貢献のために、恥じることなく飄然かつ悠然かつ超然と「絶賛無職中」と言わなければならない。

 

 働きたい人間は「働く」という社会貢献をする。

 働きたくない人間は「働かない」という社会貢献をする。

 何をしようと、巡り巡って社会貢献になる。

 これでオッケーである。

 

P.S.

耳がゴロゴロする。