社会の窓際から

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余暇を満喫できない奴隷たち

 

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 この世には厳然と奴隷階級が存在している。

 

 ここでいう奴隷階級というのは、思考を停止させて真夏に背広を着用し、日々金を求めて朝から晩まであくせく働く長時間労働特化型浪費奴隷アンドロイドのことを指すのではなく、余暇を満喫できずに退屈してしまう人間のことを指す。

 

 拝金主義に基づく経済成長至上主義社会に生きる僕たちは貪欲に金を追い求める。金を異常に欲しがる理由は人それぞれだろうが、金が十分にあれば働かなくてよく、晴れて長時間労働特化型浪費奴隷アンドロイドを卒業して、自由を謳歌する人間へと昇格し、悠々自適に余暇を過ごすことができるからでやんす、という思いから金を欲しがる人は多いと思う。

 

 しかし、どんなに自由な時間を手に入れようと、自由な時間を有意義に使う能力のない人間は、余暇を退屈へと腐敗させてしまい、その腐臭に苦悶するしかない。彼らは自由な時間を持て余してしまい、あまりの退屈さにのたうち回る。そのような奴隷階級の人間にとって、余暇というのは退屈地獄以外何ものでもなく、退屈地獄で阿鼻叫喚しているくらいならば、嫌でも他人にこき使われて奴隷労働に勤しんでいる方がまだましなのである。

 

 マルクスは『賃金・価格・利潤』という本の中で「いかなる自由な時間を持たない者、睡眠や食事などによる単なる生理的な中断を除いて、その全生涯が資本家のための労働に吸い取られている人間は、役畜にも劣る」と述べているが、奴隷階級にとって、その「自由な時間」は恐怖の退屈を意味し、むしろ彼らはその退屈を軽減してくれる搾取労働にすら感謝したいくらいなのだ。そうして奴隷たちは、奴隷労働も嫌だが、奴隷労働をしなければ発狂するほどに退屈で仕方がないので、奴隷労働に甘んじ続けることになる。

 

 人は自由になりたがる。拝金主義に基づく経済成長至上主義を掲げ、忙しない日々を送る現代人にとって、余暇は喉から手が出るほど欲しい代物かもしれないが、多くの者が思い浮かべる「余暇」は所詮「休憩時間」程度の幻想であり、実際は退屈の源に過ぎない。余暇を心の奥底から満喫できるのは、好奇心旺盛で豊かな内面を持ち合わせた一部の選ばれし人間に限られているのである。

 

P.S.

ハム食いたい。